桶狭間古戦場公園

桶狭間古戦場公園 桶狭間古戦場公園

2020年6月7日放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』紀行で、名古屋市内としては善照寺砦跡と桶狭間古戦場公園が紹介されました。

大河ドラマ紀行で紹介された桶狭間古戦場公園をご紹介します。

名古屋市緑区にある「桶狭間古戦場跡」は、古くから義元が討ち取られた場所とされており、2009年に史跡公園として整備されました。ここには信長像と義元像の他にも、合戦時のジオラマが作られ、信長ファンだけでなく歴史好きにはたまらない設計となっています。義元の墓、義元馬つなぎのねずの木の他、首洗いの泉などもあり見どころが満載です。

今川氏にかわり織田信長公が急速に存在感を見せつけるようになった、戦国時代の重要な転換点として知られる桶狭間の戦い。現在、桶狭間古戦場公園として整備されている一帯は戦のまさに中心地でした。

おけはざま山の本陣から追われた今川義元公。彼が服部小平太と毛利新介の手により敗れた最期の地とされています。合戦から450年目の2010年に整備され、往時の現場をひとめ見ようと、全国から歴史愛好家などが多く訪れています。

桶狭間古戦場公園について

この一帯は、桶狭間の戦いの中心地であり、おけはざま山の本陣から追われた今川義元が、服部小平太と毛利新介によって打ち取られた最期の地と言われています。

地元では、田楽坪とも呼び、今は合戦当時の地形、城、砦などをジオラマ化し、中央には織田信長と今川義元の銅像を配した桶狭間古戦場公園として、合戦から450年目の2010年に整備されました。

園内には、他に、今川義元の墓碑、義元馬つなぎの杜松、義元首洗いの泉、漢詩碑、合戦の解説板などあり、全国から歴史愛好家など多くの人が訪れる桶狭間古戦場の中心的な史跡です。

桶狭間古戦場公園

桶狭間古戦場公園

城や砦を模したジオラマ

この公園は、合戦の様子がわかるように、戦いのフィールドとなった、城や砦を模したジオラマが作られています。

城や砦を模したジオラマ

みどころ

「義元首洗いの泉」は「義元水汲みの泉」とも呼ばれるスポット。泉の中にくるくる回る桶があり、「桶廻る狭間」が「桶廻間」、そして「桶狭間」と変化して定着したと言われています。「馬つなぎの社松」は、義元公が馬をつないだと言われるネズという樹木です。往時は触れると熱病になるとの言い伝えがありました。ねず塚にあったものを移植し、現在は枯木の状態で残されています。

今川義元の墓

桶狭間古戦場ジオラマAR劇場

地元では田楽坪と呼ばれる桶狭間古戦場公園一帯は、「桶狭間の戦い」の中心地で今川義元最期の地と言われ、周辺には “武路”、“幕山”など「桶狭間の戦い」を思わせる地名が残っています。

公園の中央には織田信長と今川義元の銅像があり、公園全体に合戦当時の地形、城、砦などがジオラマ化、スマホをかざすと動画が見られるスポットがあります。
「桶狭間の戦い」を場面ごとに7つの動画でご覧いただけますので、ぜひお試しください。

桶狭間古戦場公園内には、”桶狭間の戦い”を立体的に知っていただくため、地形や織田信長軍・今川義元軍の城・砦を模したジオラマが置かれています。
お手持ちのスマートフォンやタブレットでジオラマの横に設置した7つのARマーカーを、「なごや歴史探検」アプリで読み込むと、戦いの模様を紹介した動画が7本視聴できます。

桶狭間古戦場ジオラマAR劇場

信長攻路360°VRガイド

信長攻路の立ち寄りスポットのうち、砦公園(善照寺砦跡)、高根山、長福寺、大高城跡公園、氷上姉子神社の5箇所ではお手持ちのスマートフォンで360°パノラマムービーの史跡ガイドが体験することができます。

信長攻路360°VRガイド

 

桶狭間の戦いとは

560年(永禄3年)、約2万5千人と圧倒的な大軍を引き連れた駿河・遠江(静岡)を中心として巨大な勢力を誇っていた今川義元に対し、その約10分の1程ともいわれる寡兵(かへい)で立ち向かった尾張を統一したばかりの小大名織田信長が、今川義元を討ち取り見ごと勝利したという日本の歴史上最も有名な戦いそれが「桶狭間の戦い」です。

戦後、東海道に君臨していた今川氏が没落する一方で、勝利した織田氏は美濃・伊勢侵攻から畿内の制圧へと急激に台頭するきっかけとなり、戦国時代の重要な転機となりました。

住所
愛知県名古屋市緑区桶狭間北3丁目
URL
桶狭間古戦場保存会
アクセス
名鉄「有松」駅下車、次に市バス「有松小学校前」より「幕山(桶狭間古戦場公園)」で下車
トイレ
備考
【豊明市までの距離・時間】距離:約5.5km 時間:約17分

 

出典:
桶狭間の戦い 人生大逆転街道桶狭間の戦い 人生大逆転街道